(2)渋沢栄一に見る国家観、社会観、社会貢献観

渋沢栄一(一八四0~一九三一)は、現在の埼玉県深谷市の富裕な農家の長男として生まれた。理不尽を憎むこの青年は、早くから家業を手伝い藍の取引に才覚を示す一方、従兄弟の尾高惇忠などとともに水戸学を学び、憂国の思いを募らせ尊皇壌夷思想を持つに至った。彼が最初に企てた試みは極めて激越なものであった。近くにある高崎城を乗っ取り、兵備を整えて鎌倉街道を下り、横浜を焼き討ちして外国人を切り殺そうとしたのである。そのエネルギーは、「百姓をしていたのでは志を遂げられない」という決死の思いであった。しかし、渋沢はこの決起の無謀さをもう一人の従兄弟に諭され、断念し京都に逃れる。
ここから彼の劇的な転身が始まる。京都で彼は徳川慶喜の家来となる。さらに慶喜の弟昭武の欧州使節団に加わってヨーロッパに渡る。徳川幕府が消滅したことを知り急ぎ帰国し、静岡藩で商法会所を設立したかと思う間もなく明治政府民部省租税正に任命され、民部省改正掛掛長、大蔵省少丞、同省大丞と出世する。しかし、財政に容嫁する政府の最高権力者と真っ向から対立し、大蔵省を辞職、野に下って第一国立銀行を創立し頭取に就任した。その後、我が国産業の振興に果たした彼の功績は計り知れないものがある。彼が設立ないし設立を応援した企業は主要な産業部門を網羅し、その数は五OOに及んだ。
彼の出発点は水戸学(皇国イデオロギー)であり、彼の生涯の規範となったのは論語(孔孟の教え)であった。天皇の忠実な臣民であり、儒教の信奉者であることの中に渋沢は自らのアイデンティティを見出していた。しかし、彼は固阻頑迷な復古主義的道徳家、軍国主義者ではなかった。彼が思い描く理想の国家は「風紀正しく富裕なる近代国家」であった。それを実現するためには高い道義性を持った民間による自由な経済活動が必要だった。倫理と富貴は両立可能であり、従って両立させるべきものであった。これを彼は「論語と算盤」というたとえで表現している。彼は「士魂商才」ということばもしばしば口にした。「論語と算盤」が倫理と経済活動の理想の関係を表す表現だとすれば、「士魂商才」は、企業人のあるべき姿を簡潔に言い表わしたものであろう。内面において「実業家もまた士」でなければならない。同時に実業家は企業家としての才覚と創意、つまり「商才」を持たねば、その本文を全うすることはできないと彼は信じていたに違いない。
また、富裕なる「近代国家」は、自由に経済活動を行い社会のために貢献する企業人が官僚と同等に公平に評価される社会であるべきだった。彼が「官尊民卑の打破」を粘り強く主張したのはこのためであろう(注5)。
渋沢は社会貢献活動にも心血を注いだ。彼が理事や賛助者として関わった非営利事業は六OOを超えていた。その意味で、渋沢は企業の社会貢献の先駆者と言うことができる。「論語と算盤」という平易なフレーズの中には、倫理と富貴の両立とともに社会貢献も含意されていたのである。第一国立銀行の頭取に就任した少し後に東京府養育院事務長となり、終生この職務に献身的に取り組んだ。彼が関与した社会貢献活動は養育院などの福祉分野だけではなく、商法講習所(現一橋大学)の設立や女子教育機関(東京女学館や日本女子大学等)の支援、日米文化交流(青い目の親善人形と答礼人形〈注6〉、学術関係図書(≪日本百科大事典≫、≪大日本地名辞典≫)の出版支援など、実業の世界においてそうであつように多方面の分野にわたっている。彼のほかに松方幸次郎や藤原銀次郎、さらに大
原孫三郎など立派な社会事業の実績を残した企業家をあげるのは難しいことではないが、その領域の広さにおいてまた関与の深さにおいて渋沢栄一に勝る人はいないといえよう。彼のこうした社会貢献への熱意を支えていたのは儒教における最高の徳である仁愛であった。

慈善とは、孟子の教えでは衆を愛すると言うことで、仏法では、慈悲、慈愛、衆生済度、一切衆生を化して皆仏道によらしむ、あたかも耶蘇でいう平等主義、一視同仁主義と同じく、人間の幸福をなるべく同一にしたい、それには幸福に富んでいるものが不幸なものを救うというということである。そこで力を公共のために尽くし、不幸なものに対して慈悲が起こってくるので、儒教でも耶蘇教でもみんなその軌を一にして究極の目標はここにある(注7)。

渋沢は、さらに、「防貧の第一要義」として、貧民救済は、人道上のためだけではなく、経済上、政治上からも必要であることを訴えている。彼は貧民救助の方法について調査や研究を進めていたようであり、その真撃な関わり方に驚かされる。彼のように福祉問題に積極的に取り組んだ実業人はほとんどいなかったのではないか。

余は元来実業に従事したりしが、この事業には最多数の競争者を得たるにもかかわらず慈善事業者としての競争者としては今なお一人も見出しあたわず……斯業を慈善家や篤志家のみに一任して顧みないのは、社会的理想の低級なるを示す(注8)。

「慈善事業者としては一人の競争者も見出していない」という渋沢の言葉には、彼の自負と他の実業家に対する不満とが同居しているように感じられる。多くの実業人の社会貢献への取り組みが積極的でないことについては痛切な思いがあったのだろう。晩年の述懐として、胸に迫るものがある。

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