(3)企業の社会性と文化性

米国では、ほとんどの企業が社会貢献を行う理由として、「啓発された自己利益(Enlightened self-interest)」を挙げるという。啓発された自己利益とは、「健全な地域社会(コミュニティ)は企業活動を効率的に行うための条件である。したがって社会貢献活動は、長期的間接的には企業にとって有益なことである」というものである。ドラッカーの定義と本質的に異なるところはない。
しかし、こうした理窟が米国企業に定着するようになったのは一九五0年代に入ってからであった。
もちろん、米国では、企業とコミュニティとの関係は建国当時にまで遡るし、人々がコミュニティを築く上で、図書館や道路等の建設は不可欠であったから、そうした事業を行う地元企業はコミュニティに積極的に関わっていた。したがって啓発された自己利益は、難しい理窟ではなく地域に根を張る企業にとってもコミュニティの人にとっても当り前の考えだったと言えよう。けれども、その場合、より適切な言い方をすれば、そういう地元企業は地元の有力者の所有物であって、こうした有力者は
企業としてというよりは、気前のいい慈善意識にあふれた富裕な個人として地域に貢献したに違いない。一九世紀末から二O世紀初頭に巨大な富を手に入れて栄華を極めた鉄鋼王アンドリュー・カーネギーやジョン・ロックフェラーなどは、黄金臭の付きまとう強欲な新興成金との社会的批判をかわすために大学や教会、図書館や財団などの設立に力を注いだともいわれているが、彼らもやはり富裕な個人としてフイランソロビーを行ったのであった。

一方、米国では、企業というものは資本家が私益を追求するための手段であるとする考え方が根強い。企業は株主の所有物であるという考え方は、経済システム全体を支える根幹的価値観(文化)と一言ってもいい。工業化の発展とともに、企業は規模を拡大し大きな資本を必要とするようになり、二O世紀に入ると企業の巨大法人化に伴って、企業の所有者(株主)と経営は次第に分離するようになったが、企業は株主のものという価値観が抑制的に機能したため、長い間企業の直接的な利益につながらない寄付は税制上の優遇が認められなかった(株主の利益を害すると考えられた)。一九一七年、個人の寄付の所得控除が認められた後も、企業寄付に対してはそれが容易に与えられなかったのである。企業の寄付について連邦歳入法で「慈善寄付」が税引き前利益の五%を上限として損金算入できるようになったのはそれからおよそ二O年後の一九三六年であった。ここに至るまで、企業寄付に対する税制優遇の実現に向けて、裁判を起こす企業や議会へのロビー活動を行う共同募金団体の働きかけがあった。しかし、法律で認められた後も、企業寄付は一向に増えなかった。それは「慈善寄付とは何か。それは企業の直接的な利益につながる寄付とどう違うのか」という問題に対する明快な答えがなされなったからであった(注5)。

寄付は企業の利益につながらない。だから税制優遇(損金算入)を与えるべきでない」という社会的・心理的な制約要因が取り払われたのは、A・p・スミス社に関する一九五三年の最高裁判決が言い渡された時であった。これを境に企業の社会貢献は大きな転機を迎えるようになった。
ことの発端は、同社がプリンストン大学に行った一五00ドルの寄付に対して株主が異議を唱えたことであった。最高裁の判決は、株主の異議を却下し、従来の直接的な利益という考え方を覆し、それを法律で認める必要もないという、画期的なものであった。判決は次のように述べている。「国家の富が個人の手に握られている聞は、慈善目的に自由に寄付を行う責任を市民に課してきた。富が企業の手に移り、個人に対して重い税負担が課せられた今、増大するフイランソロピーのニーズに市民がそのまま応じることは不可能になっている。したがって、……今度は企業に対して現代の良き市民として義務を引き受けさせることは、正義に叶ったことである」(注6)。
ここでは、現代のノプレス・オブリジェの体現者として台頭した企業が、株主利益の枠を越えて社会的責任を果たすことは、社会正義に叶うものであることが裁判所によって明確に支持されている。米国の社会貢献の特徴は、「企業の利益に直接つながらない社会貢献を企業が行うことは正しいことなのだろうか」という問いかけをめぐる経営者、株主の考え方そして社会全般の意識が絡まりあった動的な力学の均衡の上に築かれてきたものであった、といえる。
わが国においては、企業の社会貢献を成立させている社会的・文化的モメントはどこにあるのだろうか。
一九九O年、経団連が行った「企業経営の柱の一つに社会を据えよう」というアナウンスメントは、
確かに企業の新たな役割を彊いあげるものではあったが、米国の企業フイランソロピーの概念と手法を十分に阻幅附することなくわが国の企業に当てはめようする公式主義の要素も少なくなかった。それは全く新しい概念なのか、あるいは日本にも文化的に存在していたものを今一度現代的概念と手法で蘇らせるべきものなのか、当事者の我々は十分に考えるゆとりもなく時代の流れに樟をさしたのである。一九九0年代後半、ある大学で日本の九0年代からの企業の社会貢献の動きを説明した時、あるドイツ人の学生から「どうしてそれほど一挙に日本の社会貢献は開花することができたのだろうか」と質問されたことがある。私の話の中で、九0年代より以前の日本の社会貢献活動に関する言及がなされていないことが、そのような質問を受けた一つの理由だったろう。ドイツ人の彼には、日本の社会貢献が突然降って湧いたように出現した、と感じられたに違いなかった。その時、私はわが国の企業の社会貢献の歴史を語る知識と経験、文化と歴史に対する認識が不足していたのであった。つまり、未熟であったということである。
当然のことながら九0年代を用意したのは九0年代ではない。それ以前の長い蓄積の上に九0年代
は築かれたのである。そして、戦後から九0年代までを語るためには戦前を見なければならない。戦前を見るためには明治維新を調べなければならないだろう。明治時代は確かに社会貢献の萌芽があった。たとえば古くからある「慈善」というありきたりの言葉が、社会奉仕団の名称として初めて登場したのは明治一0年代からであったが、それ以降同種の団体名に「慈善」を用いる例が急増し、やがて鹿鳴館で貴婦人達が主催した「婦人慈善会」が欧化主義と結びついて「慈善会の時代」を招来し、制度としての慈善、つまり組織的継続的慈善を目ざす公益法人制度へとつながっていくのである(注7)。
しかし、もっと巨視的に見れば、明治維新を基点とする近代化、工業化社会は明治維新が用意したものではない。実は、近代は近世が用意したものと言ったほうがよい。それを受け入れる土壌がないところに新しい木を植えたところでその木が根付くわけがないように、日本の近代化は権力を握った下級武士が近世に培われた政治的、宗教的、経済的エネルギーを社会変化に適用させることによって成功させたものであった。前述した「欧化主義と結びつきつつ花開いた慈善会の時代」に当てはめていえば、「慈善の急速の普及」は、それをもたらした文化的土壌がすでに存在していたことを示唆しているということである。そこで、企業の社会貢献の文化性・ルーツを見出すためには、我々は近世、つまり江戸時代にまで足を踏み入れてその実相を確かめることが求められるのである。
そのためには、明治時代の指導的経営者であり、近代企業の社会貢献の唱導者である渋沢栄一の考え方や実績を知ることも大事ではあるが、それよりももっと以前、江戸時代中期、勃興する町人の生活哲学と倫理を確立した石田梅岩あたりまで遡る必要がありそうである。あるいは、それ以前の、講を基盤に生活倫理を築いていった真宗門徒の「勤勉」「正直」「倹約」「仁慈」などの倫理徳目にまで行き着くのかもしれない。こうした中で、「陰徳あれば陽報あり」「積善の家には余慶あり」が商道徳として確立していったのではなかろうか(このテーマについては第二章で改めて探求することとしたい)。その上で、我々はわが国の社会貢献の特質を語ることができるようになるだろう。

(注2)ピーター・ドラカー著、上回惇生ほか訳、ダイアモンド社(一二五1二ニ0ページ)
(注3)経済同友会が二OO二年二月上旬1下旬に実施した調査。調査対象は経済同友会会員企業の代表者および東証一・二部上場企業の代表者二四六八名(回答者は六四三名〈回答率二六・一%
(注4)社会的責任に含まれる内容は、「より良い商品・サービスを提供すること」、「法令を遵守し、倫理的行動をとること」、「収益をあげ、税金を納めること」、「株主やオーナーに配当をすること」、「地球環境の保護に貢献すること」、「新たな技術や知識を生み出すこと」、「貴社が所在する地域社会の発展に寄与すること」、「雇用を創出すること」、「人体に有害な商品・サービスを提供しないこと」、「人権を尊重・保護すること」、「フイランソロビーやメセナ活動を通じて社会に貢献すること」、「世界各地の貧困や紛争の解決に貢献すること」(経済同友会編、『第一五回企業白書「市場の進化」と社会的責任経営』、一七二ページ)
(注5)松岡紀雄著、『企業市民の時代』、日本経済新聞社、一四八ページ
(注6)同、一四九ページ
(注7)渋沢研究会編、『公益の追求者・渋沢栄一』、山川出版社、慈善の実践と思想(三O七~三一九ベージ)

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