(2)経済倫理と陰徳

商人道と社会貢献の関係を見ると、その経済倫理の徳目の中に社会貢献は「陰徳」(注4)として含まれていたということができる。町人道の研究者、宮本又次は、江戸時代の近江や伊勢をはじめ各地の商家の家訓・店則を調査研究し、それらの中で信仰がかなりの重きをなしていたこと、また信仰と関連して「陰徳」の心がけが説かれていたことを指摘している(『近世商人意識の研究』、有斐閣、一九四一年)。
陰徳とは一言で言えば、「内に愛の心を持って利他の行為を行うこと」である。この言葉は、もともとは仏教から生まれたものではないが、たとえば中国の禅宗において、禅堂修行の生活規則の一つの項目に「陰徳をつむこと」が取り入れられており(注5)、仏教とは深いつながりを持つに至っている。陰徳という言葉は正しくは「陰徳あれば陽報あり」という蔵言をつづめたものである。「内に愛の心をもって利他の行為を行えば結果としてよい報いが来る」というのがその意味である。陰徳という言葉はまたよく「積善」と結び合わされて「積善陰徳」という表現で使われることもある。積善というのは「積善の家に余慶あり」という成語(易経に見える)を簡略化したものである。二つの言葉は、合体して使われていることからもわかるようにその大意はほぼ閉じといっていいだろう。「積善の家に余慶あり」は、困(積善)と果(余慶)の作用が家を基盤として起こることを強調しているのが「陰徳」と異なる点ではあるが、両方とも、利他の行為と自利の関係を因と果の作用と見ている点では同じである。つまり、陽報は結果であり、それを目的に陰徳を手段化するものではないことが示されている。積善あるいは陰徳が初めにあって、陽報あるいは余慶は結果として現れる、というのがこの教えの眼目なのである(注6)。この考え方は日本の企業(商人)の社会貢献の文化的伝統と見ることができよう。
ここで本題に戻れば、陰徳(社会貢献)は商人道という経済倫理の要素の一つとして組み入れられ唯ていた、ということである。社会貢献は経済倫理に対してそのような関係性を持っていたがゆえに、開利益を得る行為自体が経済倫理の実践としての意味付けを獲得するようになったとき、それは社会貢恰献活動と相矛盾したり反目したりするものとなり得なかったのは、いわば当然の帰結であったといえる。
以上を要約すると、米国では企業は利益をあげることには何の障害も倫理的苦痛もなく、その利益を社会貢献として提供することに関してのみ、社会的倫理的大問題となった。一方、我が国においては、既に近世において企業人の先達である商人が利益をあげることと道義・仁義を貫くことをどう両立させるかについて悩みぬいたのであった。武士階級は商人が利益をあげることを否定するか極めて道徳的地位の低いものと見なした。商業を否定的にみるこうした社会環境に抗して、武士の倫理に匹敵する倫理の実践者と自ら位置付けることによって商人は存在の正当性を拡大していったのである。利益をあげることは宗教|倫理の実践(奉仕)であり、それは道義と一体不可分のものであった。道義の実践徳目の中に「陰徳」つまり社会貢献はその不可欠の要素として含まれていた。徳川時代の商人は、陰徳の実行も含めて倫理的に自己を高めることによって存立の道を切り開いたわけである。そのような自己確立が下地となって、明治以降の日本商業・産業の近代化は幕をあけていった。
こうしてみると、日本と米国では社会貢献に対するアクセントの置き方が異なっていることの理由が理解されよう。市民的権利を普遍的な価値として社会の基礎にすえて一八世紀に建国し、経済的価値を中心的価値として豊な社会を築いてきた米国とは全く正反対に、日本においては二千年近い歴史を通じて庶民は被支配層の立場にあった。特に戦国時代以降、武士の統治体制とそれを支える政治的価値が最も強固になった時代に、非支配層の中で最も身分の低い商人が、商業そして産業の追求が国に対する忠誠の方法であり、それは武土の働きに匹敵するものであると主張し、経済倫理を実践することによって卑しめられてきた経済活動(利益を得ること)の「汚名」をぬぐう働きをしたのである(注7)。近世の商人にとって死活的な問題は、経済行動に道義的意味を見出し、それを粘り強く行うことだったのである。こうして彼らは社会貢献に取り組んだ。近代産業化の基礎を築いた渋沢栄一などはまさにこのような近世の経済倫理を継承し時代に合わせて発展させた一人であった。徳川時代の商人道の唱導者たちは、米国よりも二OO年近くも早く、営利と道義の問題について自己省察と思索
・実践を積み重ねながらその解決の道を求め、これを捜し当てて広く社会に普及させていったのであった。
そこで、我が国の企業の社会貢献のルーツをつぶさに探求するためには、明治以前の近世の時代、商人道が確立されていく徳川時代にさらに足を踏み入れなければならない。
以下では、宗教価値が世俗的経済倫理となっていったプロセスを仏教(浄土真宗中心)と石門心学の中に見ていくこととする。

(注1)ナンシー・ロントン著『日本企業のフイランソロピ――|アメリカ人が見た日本の社会貢献』、TBSブリタニカ、一八ページ
(注2)同、二七~二八ページ
(注3)同三0ページ
(注4)陰徳一准南子(前漢の時代に道家思想を中心にまとめられた百科事典)に見える言葉(陰徳あれば陽報あり)で、「人知れず善行を積めばよい報いが来るーの意。元来陰徳は中国古来の陰陽の思想に基つくもので、易経にある「積善の家に余慶あり」という成語も類似の意味を持っている。インドから中国に仏教が伝来したとき、このような道家思想が仏教の中国的教理体系化に一役を買ったといわれる。いわば仏教が中固化していく過程の中で道家思想は転換装置のような機能を持ったのであろう。
(注5)具体的には禅堂生活で炊事係となって働くこと。炊事係というのは、表向きはあまり注目されない、縁の下の力持ちのような奉仕の仕事を行う。これを陰徳というのは、人に見られぬようにして善章行を積むという行為の外面的なありょうを言うのではなく、自己を中心とする考え方を取り除くこと配によって自然に発露する志向と行動そのものを言う。それは心の中に愛を抱いて行う布施行でもある。
(注6)商人道に大きな影響を与えたも一つの宗教は儒教である。儒教の中には「積善陰徳」という教えはない。儒教における類似の行為を表す言葉は、「仁義」や「仁愛」であり、これらは広く衆を愛す、困窮者に側隠の情を抱くといった意味を持っている。一方、積善陰徳の心は、といえば、それは「慈悲心」あるいは「衆生への恩」である。つまりその心においては、儒教も仏教も類似しているといえる。家H商家H企業と見なすならば、陰徳は行いとその結果を受けるグループとの関係性をその中に含んでおり、その意味では企業の社会貢献的な意味合いを濃厚に持つ概念と見なすことができる。
(注7)政治的価値が最も強まったのは、戦国時代以降である。古代は、「王法即仏法」と言われる様に政治と宗教は相互協力の関係にあったと見られる。中世では、王法と仏法は対座する関係であった(湯浅泰雄著、『日本人の宗教意識』、講談社学術文庫)。

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