二 「日本的経済システム」の機能不全

戦後の日本経済を支えた日本的経済システムは、バブルがはじけた九0年代初頭から機能不全に陥り、その出口を見出せないまま今もなお街僅っているように見える。それは、日本的経済システムが、工業化社会づくりに逼進する上では適したシステムであったが、ポス工業化社会においては必ずしも有効に機能するものではなくなったことを意味している。
高度経済成長のエンジンとなった日本的経済システムとは、<1>終身雇用、年功序列を軸にした雇用慣行と企業別労働組合を特徴とする日本型企業(企業部門)の存在、<2>資本集約的戦略産業(重化学工業と輸出産業)への重点的資金配分を可能にさせた間接金融システム(金融部門)の存在、そして<3>経済成長に伴う様々な摩擦や格差を調整する官僚機構の存在、という三者を主な要素とするものであった、と言われている。野口悠紀夫は、こうした日本的経済システムを「総力戦遂行のための四O年体制」と呼び、これらの原型は戦時体制下に形成されたとしている(注1)。彼の見解によれば、この体制が戦後の経済成長の牽引車となった理由は次のとおりである。

制度を作るのが人間である以上、重要なのは、その背後にある思想や理念である。一九四O年体制は、国民が一丸となって生産性を増強するものであった。ここで導入された「生産者優先主義」と「競争否定主義」は、戦後の高度成長の過程で強化され、ある種の価値観にまで高められた。「消費者優先社会」や「規制緩和」が叫ばれながら一向に実現しないのは、こうした価値観がいまだに日本社会の根底に根強く残っているからである(注2)。

野口によれば、「生産者優先主義」は、「消費は浪費であり、したがって悪である」、「生活の質の向上などは怠け者の要求」という通念を生み、また「仕事がすべてに優先する」という会社中心主義に巧みにマッチしたのであった。さらに、彼は「このことは日本人の思考様式にまで大きな影響を与えた。様々の汚職事件で表出した『会社のためになることが悪であるはずはない』という『会社人間』意識は、その象徴である」と述べ、企業が「共同体としての生産組織」の性格を持つに至ったことを指摘している。「競争否定主義」は「生産者優先主義」を支える方法論の原理と言ってもよい。それは、目的遂行のために国民が協働することを意味し、チームワークと成果の平等が重視される。この結果、競争は否定されがちになる。高度成長期には、これが歪みを是正し、社会的な安定を保つ機能を果たしてきた。「過当競争」の是正や金融行政における「護送船団方式」、財政制度における「地域聞の格差是正」などは、この「競争否定主義」に淵源が求められる。
私は、野口の指摘する「生産者優先主義」と「競争否定主義」に、「中央集権的な官僚主導主義」を加えることが不可欠だと思う。なぜなら「生産者優先主義」および「競争否定主義」はともに自由主義経済を国家目的のために制限・統制することを前提としており、その前提を築くためには行政機構を、国家全体を包括する機構の指導的一部にしなければならないからである。当時の「革新官僚」と呼ばれる集団はそのような思想の実現に努め、その影響は戦後に至るまで大きな影響を与えたといわれる(注3)。したがって、「中央集権的な官僚主義」を含む三つの考え方が「四O年体制を支えた、と見るべきだろう。
ところが、工業化社会からポスト工業化社会(知識社会)に経済社会の舞台が移ると、日本的経済システムの強みは弱みに転化してしまう。
・知識社会は個人の創造性と自由な競争が経済社会を推進する原動力となる。
・知識社会においては、個人であれ企業であれ、開放性・流動性が求められる。
・また、知識社会においては、人々は工業化社会の果実である豊かさを享受する一方で、自立意識が強く社会的公正に対する鋭い感受性を持つようになる。
現状の機能不全を解消するためには、ポスト工業化社会にふさわしい経済社会システムへの構造転換と価値観の転換が行われなければならない(その中身については、本論文の直接的テーマではないので言及は控えるが、「失われた一O年」ともいわれるほどその構造転換に我々は時聞を費やしている。野口が指摘しているように、ことは価値観の転換を伴うものだからでもある。これに対してドラッカーは「日本を軽く見ることはできない。一夜にして一八O度転換するという信じがたい能力を持っている」という見解を語っている〈注4〉)。
私は新しい価値観を古い日本的経済システムの価値観に対置させるとすれば、次のように表すことができると思う。

「生産者優先主義、企業中心主義」から「生活重視、個の自立性・創造性の尊重」へ
「競争否定主義」から「公正な自由市場の尊重、セーフティ・ネット思想の確立」へ
「中央集権的な官僚主義」から「政治主導、分権主義、市民社会(NPO)重視」へ

いずれの新しい価値観も、企業の社会的責任の遂行をより強く求める働きをしていくことは間違いない。古い価値観から新しい価値観への転換が起こると、企業は「公正な自由市場」の中で効率(利益)の追求にだけ蓮進するわけにはいかなくなることは明らかである。企業は、生活重視ーその先には環境問題がある、そして市民社会(市民セクター)重視という社会的志向性に対応する行動規範を整えていかなければならなくなる。
前章で、我々は企業にサンクションを与える主体が国家以外、つまり生活者やコミュニティ・社会である場合、そのサンクシヨンの内容は、規制・規範を強いるやり方の違いによって、<1>法令指向型、<2>契約指向型、<3>その他があることをマトリックス上に見出した。<1>および<2>ともに、国民的合意形成のもとに、法令上の義務を伴うメカニズムが確立されるならば、その制裁は有効に働く。逆にいえば、そのような国民的コンセンサスが得られない場合は、サンクシヨンは機能しない。その点<3>は、社会の意識・感受性が高まり「情報公開」や「第三者評価」等の手法が定着し、それが企業行動に対する影響力を発揮するようになれば、極めて有効なサンクシヨンになりうる。七0年代以降、<3>は、「知る権利」という新しい市民的権利が確立されたことに伴って、社会的公正を確保する手段として社会に根付いてきている。

つまり企業は、価値観の転換に即して、自由な市場でのフェアな競争(政治との癒着や不正行為などのない)に立ち向かうとともに、生活・環境重視、市民社会重視の立場を強めつつ、しかも自らの存在の透明性を高めていかなければならないのである。日本的経済システムからの脱却は、極めて複雑な方程式の速やかな解決を日本企業に求めており、行動規範(社会的責任)の確立はその中の主要な課題の一つになっている。メダルには必ず裏と表があるように、社会的責任の領域では、行動規範のマトリックスを別の角度から見るなら、対応の仕方によっては企業に対するサンクションが全く正反対の思恵や優位性を企業にもたらすチャンスとして作用することを忘れてはならない。

(注1)野口悠紀夫著、「一九四O年体制」東洋経済新報社。野口は戦時と戦後の連続性を支持する見解が学界でも多くなっている、と指摘している。彼は次の点も強調している。「もちろん、これは、戦後改革の重要性を否定するものではない。これらの(戦後)改革が日本社会の上部構造を変えたことは間違いない。ここで指摘したいのは、経済構造の基本的部分では戦後体制が敗戦にもかかわらず生き残ったこと、そして高度経済成長に対して本質的な役割を果たしたことである」。学者ではないが、堺屋太一も「戦時体制下で抵抗を排して作られた『官僚主導型業界協調体制』が日本を最適工業社会にまで発展させた」との見解を述べている(堺屋太一著、『日本とは何か』、講談社、二九六ページ~二九七ページ)。
(注2)同、二二五ページ
(注3)同、四五~五二ページ
(注4)p・ドラッカー著、『ネクスト・ソサエティ』、ダイヤモンド社、二一八~二一九ページ、さらに次のように述べている。「日本は劇的な転換が得意である。一定のコンセンサスが得られるや、直ちに転換する。今度の場合は、おそらく何かの不祥事が大変化の口火となる。大銀行の倒産がそれかも知れない。今日までのところ、日本は問題が突然なくなるか、徐々になくなることを夢見ている。脆弱な金融システムに取り組むことを先送りにしている。だが、時の経過とともに、そのようなことはありえないことが明らかになって行く」。

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